海南行(天 29)

吟譜(PDF)

作者:細川頼之

(一三二九~一三九二年)・名は頼之、通称彌久郎(やくろう)、頼春(よりはる)の子、元徳元年三河(愛知県)に生まれる。

人格は端正温厚、謀略に富み読書を好み詩歌をよく嗜(たしな)んだ。 足利尊氏に従い転戦し功あり、義詮(よしあきら)没するに際し義満の補導の任に当たる。 義満長ずるに及び執事の職をやめ讃岐に移る。後召還されて執事として国務に参与した。

語釈

*海南行・・・京都から讃岐(香川県)に出発する時のうた。
*蒼蝿・・・・あおばえ 讒言(ざんげん)して自分を失脚させたつまらない人たちにたとえる。
*禪榻・・・・座禅に用いる長椅子 俗世を離れた場所のこと。

通釈

自分の人生も、はや五十となったが、何の功績もないのが まことに恥ずかしい。それにひきかえ、歳月の移るのは早いもので、花咲く春も過ぎて、今はもう夏も半ばである。青ばえが部屋いっぱいに飛びまわって、いくら追っても逃げ去らないように、 小人どもの讒言がうるさいから、こんな世の中は捨てて座禅の長椅子でも探し出して(禅門に入って)、 清らかな風の吹くところで余生を送りたいものだ。

備考

貞治六年、足利義詮(よしあきら)臨終の時、頼之を召し、その子義満を託す。義満長ずるに及び、 讒を信じて頼之の職を解き、讃岐に還らせた。頼之剃髪(ていはつ)して名を常久と改め、出発に臨んでこの詩を作る。 時に康暦元年閏四月、年五十一歳。

範吟

素読・範吟 鈴木精成